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鬼護の子

鬼護の子



「向こうのお山に行ったらいけないよ」

 縁側で、饅頭をお茶請けにしながら言う祖母に少年は首をかしげる。村に住むものは誰もが同じことを言い釘を刺すからだ。

「どうして?」

「子鬼が眠っているからだよ。お山のあのあたり一体、ぐるりとしめ縄で囲ってあんだ。……昔、旅の途中に立ち寄ったお坊さんが結界を張ってくれてね。社をいくつか建てて、中にお地蔵様を祀ったんだ。縄で社を繋げて、お地蔵様のお力で、子鬼を封じているんだよ」

 目を細めて、人差し指で示された先に視線を向ける。そこそこ距離はあるが、よほど太いしっかりとしたしめ縄を使っているのだろう。この場所からでも、その様がよく見える。
 確かに。生まれて12年間、鬼を目にしたことがない。きっと、お坊さんが張ったという結界のおかげなのだろう。

「ついでだからと、この村にも結界を張ってくれてね。おかげで、他の化けもんも近寄りづらくなってるんだよ。ありがたいことさね」

 大きな都ならいざ知らず。明日にも消えてなくなったとしても、村人以外に困る人がいないような小さな農村に、お上はわざわざ結界を張るなどしてはくれない。そのため、悪鬼悪霊妖怪の類に襲われ村がなくなることも珍しくない。ここは運が良かったのだ。

「ふぅん」

 今まで見たことない存在のことを話されても、いまひとつ現実感が分からない少年は気のない返事をする。
 子どもは村外に出ることが許されていないため、アヤカシの類を見たことのあるのは大人だけだ。そんなことを言って、自分らを外に出さないための大人たちの方便なんじゃないか思ってしまわなくもない。そんな少年の考えに気づいたのか、祖母は殊更優しい笑みを浮かべて言う。

「信じられないかもしれないけんども、好奇心に負けて外に出てはだめだよ。昨日の大嵐で、しめ縄や社が脆くなっているみたいだから」

「え……大丈夫なの?」

「男衆が状態を見に行ってるから大丈夫。壊れそうだったら、修理してくるよ」

 にこにこ顔で言うと、ズズ――とお茶をすする。そして、遠い昔を思い出すように、山を見つめた。

「ばあちゃん?」

「……ばあちゃんな。少しだけ思うんだよ。あの子鬼は、本当に。……本当に悪い子だったのかってねぇ」

 少年の呼びかけに、神妙な表情を浮かべてぽつりと呟き目を伏せた。

「悪い鬼だったから、閉じ込められたんでしょ?」

「そんだけんども。んだけども、ずっと、ばあちゃんはここに引っかかってんだわ」

 言い、自身の心臓のあたりを手の平でそっと押さえる。

「人間にもいい人や悪い人がいるように、鬼にだってそういう鬼たちがいるかもしれないってねぇ」

「でも、悪いやつしかいないから、やっつけたり子鬼みたいに閉じ込めたりするんじゃないの?」

「んだ。少なくとも、ばあちゃんはそういうやつらしか見たことがない。でも、あの子鬼は違ったような気がするんだよ。……いや、今更だね」

 自嘲じみた笑みを浮かべると、祖母は少年の頭を優しく撫でた。

「ばあちゃんの話に付き合ってくれてありがとうね。優しい子に育ってくれて、ばあちゃんは鼻が高いよ」

「……うん」

 対して、少年は歯切れ悪く返事をする。
 もし、もしも、だ。もしも、祖母の言う子鬼が悪い鬼ではなかったとしたら、可哀そうだなと思った。同族が悪いことをしたばかりに、自分までそういう目で見られて、罰を受けたことになる。そう思ったら、心臓がわしづかみにされたみたいに、ぎゅうぅと苦しくなった。

「さあて、そろそろ男衆が帰ってくる頃じゃないかね。昼も近いから、昼餉の支度をしなきゃだね」

 いつもと変わらない日常。いつもと変わりなく、夕餉の支度をしようと立ち上がりかけた、そのときだった。――ドン!という大きな地響きとともに大地が揺れたのは。

「な、なんだっていうんだい!?」

 よろめく祖母を支えて、奥の、村の出入り口の方角に視線を向けた。そこにいたのは、少年が見たことないほどの巨躯を持つ化け物。それは、一ツ目で。それは、十尺ほどの巨躯で。それは、それは――口からはみ出すほどの大きな牙を持っていた。

「お、お、大牙おおが……!」

 少年に支えられながらも立ち上がり、それを見据えて叫ぶ祖母の声にハッと我に返る。

「な、なんで、こんなのがこの村に……」

「ばあちゃん、大牙って?それに、父ちゃんは……」

 怯えから震える声で呟く祖母の体をしっかりと支えながら、視線は大牙と呼ばれたそれから背けずにいると、その更に奥。他の大人たちに紛れて少年の父親が斧を手にやっとといった様子で立っていた。
 斧を地面に突き立てて、ぜいぜいと肩で息をし、大牙だけをめつけている。そのため、少年と祖母には気づかない。あれは仕事道具だが、念のためと持って行ったものだ。よく見ると、頭から血がたれている。あの大牙にやられたのだろう。それでも彼らは家族や仲間を守るために、それぞれ武器を手に大牙に飛びかかった。
 大牙の足の一振りで、ほとんどの男衆が蹴り飛ばされる。その中でも、少数の武器が命中したがかすり傷ひとつ与えられず砕け散った。

「父ちゃん!」

「待ちなさい、かん――」

 考える暇もなく足が動いていた。このままだと、父が殺されてしまう!そう思ったら居ても立っても居られなかったのだ。制止する祖母の声は届いていない。咄嗟に、視界の端に映った鍬を手に取り大牙に向かって駆け出していた。

「こンのっ、ぅおやろおぉーー!」

 怒りに身を任せ、鍬を振るう。背後の祖母の叫び声。奥にいる父親の蒼白になった顔がスローモーションになって目に映った。それでも、もう、動きは止められない。鍬を振り下ろそうとしたときだ。大牙が少年へと振り向き、ほんの少ししゃがんだかと思えば、薙ぎ払うように腕振るった。
 ブオン――!
 鼓膜を震わす風切り音に、耳が詰まる。胴体にはしる衝撃に、なすすべもなく叩き飛ばされてしまったのだ。

ああ、俺って、なんて弱いんだろう。

 地面を転がり、ぐったりと倒れる。悔しさに涙が滲む。それすらも悔しさを助長する。泣いている暇などないのに。悔しい、悔しい、悔しい――!
 ザリ、と土ごと拳を握りしめる。霞む視界に大牙を捉える。その足が向かう先にいるのは。

「ばあちゃ」

 空気が、止まった。
 比喩表現ではなく。言葉どおり。空気が止まったのだ。風音も、悲鳴も、大牙の唸り声も。何もかもの音が、消え去ってしまった。
 何ごとかと視線を巡らせたところで、今にもかき消えそうなほどの儚い声が聞こえた。

『たすけ、たい?』

「えっ?」

『つよくなりたい?』

「なにを言って……」

 状況が理解できない。なにが起きているんだ。自分以外の動きが止まっている状況に目を白黒させる他ない状況に加えて、謎の声。混乱するなという方がどうかしている。それに。

「きみは、誰?」

『こたえてくれたら、教える、よ』
『ね。きみも。みんなを、たすけたい?』

 そんなこと。決まっている。当たり前だろ。

「助けたいに決まってる!」

 時が、動く――。

「うわあああああ!」

 何をすべきかは理解していた。鍬は壊れて使い物にならない。他に武器になりそうなものもない。けれど、足が動いた。
 拳を握り、大牙へ向かって全力疾走する。胴体に受けた痛みは感じていない。麻痺しているのだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいい。今すべきことはただひとつ。あのバケモノ――大牙を殺すことだ。

「ばあちゃんにっ、手をっ出すなーー!」

 ついさっきまで非力だった少年の拳が、大牙の足に突き刺さったのだ。
 大牙が声にならない声をあげて膝をつく。驚愕と恐怖がぜになった表情で少年を見やる。
 膝をついているが、安心はできない。早くとどめを刺さなければならない。はやく、はやく、早く――!


 ゴボポ――。
 昔、増水した川で流されたときの感覚と似ているが、少し違う。水が口の中に入って苦しいという感覚がない。むしろ、心地よささえ感じる。
 ぼんやりとした意識の中、遠くから雪みたいに白い手がのばされる。なんだよ、手を取れってことか?心地よさに身を任せたまま、その手を握り返した。

『がんばって』

 この声は、さっきの。がんばって、って何をだよ。なにを……。

――か……!

 また、声だ。
 遠くから声が聞こえる。誰の声だろう。知っている人の声だ。

――……せ…!

なんだよ。静かにしてよ。

――か……い!

 大事な人の声。守らないとって思った人たちの声。あれ?何があったんだっけ。

「――貫正かんせい!」

 急激な意識の浮上に、ブハッと喉の奥から呼吸が漏れる。次いで、後ろから抱きしめられていることに気づいた。
 なんだ?何があった?何が起きたんだ?何だっけ、確か、えーと……。

「……え?」

 目の前にあるのは真っ赤に染まった手と、息絶えた大牙だった。

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